野底山の歴史文化

Q 公園の北側斜面の尾根は、戦国時代、

   あることに使われていました。それは一体何・・?

 

野底山森林公園内北側は、園中心部の施設の集中している場所からは上をぐっと見上げるほど斜度のある山になっています。

山には歩道が続いていますが、その中を徒歩で30分ほど登った、ひときわ高い場所は茶臼山と呼ばれ、戦国時代には、戦略上ある大切な役割を果たしていたと伝えられています。

一体その役目とはなんだったのでしょう?ここはどのように利用されていたのでしょう?

のろし台へと続く道

 

 

茶臼山へと続く遊歩道

 

 

 

A 戦いの合図の烽火をあげるのろし台でした。

 

遊歩道を登り切ったところの茶臼山と呼ばれる場所は、大変見晴らしがよく、遠く天竜川対岸の神之峯や喬木村豊丘村一帯がよく見えます。

武田信玄は、1500年代、ここ伊那谷の天竜川東西両岸に、信州南端から遠く甲斐の国甲府の躑躅ヶ崎館まで続くのろし台の連絡網を築きあげたといわれており、この野底山の峰の一つである茶臼山も、その眺望の良さから、のろし台の一つが置かれました。

 

 

 

のろし台からの眺め

現在ののろし台からの眺め