今日は、私たちスタッフが常駐している公園管理事務所のことを少しご紹介したいと思います。
このレトロで味のある木造の建物が、野底山森林公園の管理事務所です。
訪れる皆さん、特に年配の方々は、ここへ来ると口をそろえて、「懐かしいなあ、ほっとするなあ。」と言います。
若い方々は、「ここでカフェやったらいい雰囲気だね。」と言ってくれます。
この建物は昭和13年築、もう75歳にもなる、戦前戦後の野底山の歴史の生き証人とも言える建物なのです。
建物の入り口の看板には「野底山道場」と書いてあります。
これはいったいどういうことでしょう?
そもそも野底山は、古くから地元上郷村(現飯田市上郷)の人々にとって生活の糧ともいえる山でした。
多くの肥料燃料を山から得、林産物によって村の経済も支えられていました。
江戸時代は、山の入り口のあたりは主に刈敷(田畑に敷きこむ肥料)をとるための採草地で、奥山のほうが森林地帯でしたが、明治以降、植林が進み、計画的な森林経営がなされていきました。野底山は地元5か村がよくまとまって森林経営がなされ、伊那谷でも最も模範的な村有林経営の山でした。
一方、昭和初期に入ると、日本は世界的な経済恐慌の渦中にあり、農山村の疲弊が深刻となり、森林資源を強化するために植林を推進し、資源を充実することが全国的な課題となっていました。
そのような気運の中、野底山でも、村民に対する愛林思想を培うために、また、戦争へと向かう時代背景を反映して、軍人・青年・学徒の心身鍛錬を行うために、この「野底山道場」が建てられ、利用されたのです。
戦後は、林業作業のために山に入る人々の拠点として活用され、昭和60年に森林公園が開園してからは、公園の管理事務所として使われています。
今年4月からは、園内全施設の受付管理をこの建物で一括して行っています。
野底山道場②に続きます。お楽しみに・・
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